Our Story 想い

日本の家は、
寒すぎる。

そしてその寒さは、時に大切な家族の命を奪います。

3つの衝撃と、ひとつの後悔の物語。

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なぜ私は、断熱リフォームに命を懸けるのか。

私は一級建築施工管理技士として、そして13年間の現場監督としてのキャリアを持つ「建物のプロ」です。しかし、私がいまこの「断熱」という分野に人生のすべてを捧げている理由は、単なる専門知識やキャリアからではありません。

そこには、私の人生を大きく変えた「3つの衝撃」と、消えることのない「一つの後悔」があります。

震災から始まった、「家を守る」という覚悟

私の原点は、1995年、19歳のときに経験した阪神淡路大震災にあります。

昨日まで当たり前にあった街が、一瞬にして瓦礫の山と化す。昨日まで笑い合っていた隣人が、建物の下敷きになる。その光景は、19歳だった私の心に、抜き差しならない問いを突きつけました。

家は、人を守る器でなければならない。人を傷つけるものになってはならない。

この想いが、私を建設の世界へと突き動かしました。それから13年間、現場監督としてRC造・鉄骨造・木造と、あらゆる構造の建物づくりに携わり、修繕や構造改善を通じて、住む方の不安が取り払われ、再び笑顔が戻る瞬間に、代えがたい喜びを感じてきました。

しかし当時の私は、日本の住宅が抱える「もう一つの大きな敵」に、まだ気づいていませんでした。

北欧で突きつけられた、「日本の常識」の異常さ

転機が訪れたのは2019年。初めて北欧の地を訪れたときのことです。

極寒の地でありながら、住宅やカフェ、公共施設の一歩中に入れば、そこには春のような暖かさが広がっていました。驚くべきは、すべての部屋の温度が一定であること。

国レベルで断熱性能を上げるのは当たり前。それが国民の負担を減らし、健康を守るのだから。

— 現地の友人の言葉

日本では「冬は寒いのが当たり前」「厚着をして我慢するのが美徳」とされてきました。しかし北欧のそれは、我慢など不要な、真に豊かな生活環境でした。日本の住宅は、世界基準から見れば、住む人に多大な我慢と健康リスクを課している「未完成な器」だったのです。

母が残した、最後の言葉

そして2022年。私の人生を決定づける、悲しい出来事が起こりました。

療養中だった最愛の母が、実家の水回りで倒れているのが発見されたのです。死因はヒートショック。急激な温度変化が、母の寿命を奪い去りました。

母を見舞った際、今でも耳に残っている言葉があります。

さむい……

オイルヒーターを点け、ホットカーペットを使い、暖かい布団を用意していました。部屋の空気は、温めているつもりでした。それでも母は「さむい」とつぶやいたのです。

エアコンで空気を暖めても、壁や床が冷え切っている家では、放射冷却によって体温が奪われ続けます。温まった空気の対流(コールドラフト)が、冷たい隙間風を足元から吸い込む。母が感じていた「さむい」とは、住宅そのものの欠陥が引き起こしていた「体への暴力」だったのです。

Our Mission

一軒でも、住宅内での
事故を撲滅したい。

かつて日本の住宅供給の主流は、大手ハウスメーカーでした。立派な家は数多く提供されましたが、断熱性能は近年の改革が進むまで不十分なまま。とくに温暖な西日本では「冬よりも夏の冷房」という考えが強く、断熱への優先順位は極めて低く置かれてきました。その代償として、夏の熱中症、冬のヒートショックによる事故が、今もなお既存住宅で後を絶ちません。

私は、この悲痛な現状を、自分の手で終わらせたい。「今の家をまるごと建て替えるのは無理でも、一部分からでも断熱を改善することで、救える命がある」——そう信じて、既存住宅の温熱環境を、安全で心地よい場所に変える活動を始めました。

私の目標は、あなたの家の「お医者さん」になり、家の中での事故を撲滅すること。経済的負担の軽減も大切ですが、何より、あなたとあなたの大切な家族が、一分一秒でも長く、安心して笑顔で過ごせる家をつくる。そのために「少しからでもできる断熱」を、誠実な技術で提案し続けます。

今の住まいに愛着があるからこそ、その家を「最高の安全地帯」に生まれ変わらせるお手伝いをさせてください。一緒に、より良い住環境を考えていきましょう。

断熱リフォーム相談室 代表・一級建築施工管理技士 / ホームインスペクター 増田 敬太郎